自分が好き歴3年目 2005.5.7
昨日が誕生日だったので、漠然と「美容整形前の自分と、今の自分」について考えながら長湯してみました。去年のコラムにも書いたかと思いますが、美容整形を受けてみて、一番うれしかったことは「自分が好きになれたこと」です。多感な時期にストレスからくる過食症を2度経験した私は、世界中の誰よりも自分が嫌いでした。当時の写真もほとんど残っていません。
大嫌いな人がいるとしたら、その人に会わないようにすればストレスはたまりません。しかし、嫌いな人が”自分自身”の場合、どうやっても逃げ場はないのです。眠っているとき以外は、ずっとその”大嫌いな自分”と行動しなければならないのです。
周りの人がすべて自分を見て笑っているような気がして、あるいは悪口をいっているような気がして、電車にも乗れない、電話もかけられないような状態が続き、仕事をやめて2ヶ月ほど四国の祖母の家に住んでいたこともあります。
こんな状態ですから、何かにつけ「恥ずかしい」「いい年して」「みっともない」が口癖でした。
このカバンはダサいのではないか、この年でこんなことをしていてはおかしいのではないか、この人は私をどう思っているのだろうか・・・
自分自身が嫌いな私は、他人も好きになることができず、自分よりステキに見えるすべての人に対しての陰口や噂話に花を咲かせるのが大好きでした。同僚と、職場のステキな人の悪口でお茶を飲んだり、ということを好んでしていたのです(笑)
性格的にもひがみっぽく、年下の若い振る舞いにも本気で腹を立てたりしていました。
そして31歳の初夏。
貯金をし、手探りの知識でお腹の脂肪吸引を受けました。私がそのとき、手術を受けて変わったことは、”お腹の周りの皮下脂肪が減った”こと。
たったのこれだけでした。
しかし、この出来事は、思わぬところで分厚い自分自身の殻を破ることになりました。
自分の行動で、自分が変えられることを身を持って知ることとなり、何事に対しても積極的になっていきました。自分を変えられるのは自分だけ、ということに遅まきながら気がついたのです。じっと待っていても、都合よくウエストだけくびれてはくれませんし、ましてや人一倍女を見る目の肥えた白馬の王子様がそんな自分に手を差し伸べてくれることもないし、買ってもいない宝くじは決して当たらないことに気がついたのです。
生きているうちは、自分の体と離れて暮らすことはできません。それならば、自分の体型がコンプレックスなら(美容整形でなくとも)変える方法を探して努力すればよいのですし、自分の性格が嫌いならば、良い刺激をどんどん受けて、良いと思うところだけを吸収していけば良いのです。
思わぬところでガツンと衝撃を受けた私は、時間をかけて徐々にプラスの方向に変化していきました。
影で悪くいわれても、「いいのよあなたが私を嫌いでも。私は私を好きだから」と軽く流せるようになったのです。
服装もぜんぜん無頓着になりましたし、30歳過ぎてもクワガタ取りに熱中し、一人で河原バーベキューしたりしています(笑)
他人の悪口を伝え聞いても、「ふうん、それで?」というふうに、まるで興味がなくなりました。
年下の人の?な振る舞いにも「まあ、まだ若いから。そのうちわかるでしょ」とおおらかに受け入れられるようになりました。
自分自身がそうだった時期があるからこそ、この変化に気づいたのかもしれませんね。
10代後半〜20代前半、過食症の当時「奥さん」「オバサン」といわれることがとても多かったのに、最近はほとんどいわれません。微妙な年齢を過ぎている私が眼力で無言の圧力をかけているのかもしれませんが(あるいは「オバサン」が「お姉さん」という風に聞こえる耳になったのかもしれませんが)、若く見えますね、といわれるとお世辞でもうれしいものです。
そう、お世辞も「イヤねえ、お世辞ばっかりで」ではなく、「あらそお? 若く見える?」というふうに、直球ど真ん中で受け取れるようになりましたね。
逆に「ありがとう」も、社交辞令ではなく、心からたくさん言えるようになりました。
「まったく、もう25歳だよ、やんなっちゃうよ・・・」とため息をついていた10年ほど前の私がいたからこそ、こうやって変化を楽しめたのです。どんなことも、自分にとっては”プラスに転じるための出来事”のひとつとして数えられるものですね。
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