2011.2.4 わくゴー・スタート時からのサポーターとのお別れ 

1月31日、わくゴーのスタート時から管理人をサポートし続けてくれていた同居人(大形 淳)が肝原発性神経内分泌がんのため亡くなりました。
治療法の確立されていない、進行の早いがんで発病から8ヶ月、享年40歳でした。
お葬式も行わずお墓も作らず、親しい友人と親戚だけで静かにお見送りしました。

胃に痛みを訴え、レントゲンや胃カメラ、直腸検査に異常なし。
逆流性食道炎ではないか?と診断され、紹介状を持って訪れた総合病院での検査時にはすでにリンパや骨に遠隔転移しておりました。
完治を目指して治療を続けておりましたが、1月には治療をやめ大好きな自宅で過ごす道を選択していました。

「さあこれから、今までお世話になった分を介護で返そう!」と思った矢先に早足で遠くへ行ってしまいました。
もう少し長い間オムツを替えさせて欲しかったです。
今のままでは履歴書の特技欄に”オムツ交換”と書くことができません。

両親がそうしてきたような延命治療を望まず、ありのままに逝きたいという本人の希望を尊重し、最後まで管や機械につながれることはありませんでした。
長い間”ぎるびい”というペンネームでパチスロ必勝本という雑誌の記事を書いていましたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。(管理人は博打に興味がなく、同居人は美容に興味がありませんでしたので、お互いどんな仕事をしているのかはほとんど知りません)

”みゅったら”という無二のペンネームの名付け親で、ご機嫌なときはガメラ〜♪の曲に合わせて「みゅったら〜」と歌っていました。
一人牧場主の私を気遣い、葬儀も行わず墓も作らないと生前に決めてくれていました。

どこから話をしていいか困るくらい、とにかく変わった人でした。
わくゴーをはじめる少し前にネットで知り合い、面白い人なので「一度会ってお話しませんか」といったら
「イヤだ面倒臭い。なんでわざわざ時間作って会わなくちゃいけないの?」と言われたことを覚えています(笑)
興味のないことにはかけらも労力を使いませんが、興味を持つと寝食を忘れて海よりも深く!掘り下げる頭のいい人でした。

身ひとつでうちのアパートに転がり込み、ピーク時の仕事を突然1年もバックれるという伝説を作り、そこから10年共に暮らしてきました。
2007年、管理人が突然「千葉に引っ越して牧場を作る」といいはじめた時には青ざめ、下見に来て
「こんなところに住んだらノイローゼになる」とまで言いましたが、徐々になじんでいき、晩年は
「こんないいところ、ほかにないよね」といいながらニコニコしていました。
スズメバチが大嫌いでしたので、外で見つけるたびに拾い集めて彼のノートパソコンの上に置き、隣の部屋から悲鳴があがるのを聞くのが楽しみでした。

仲だけは良く、喧嘩らしい喧嘩をした記憶がありません。
灯油18リットル缶を二つ抱えて階段を歩く管理人を後ろから眺め「重い? 重くない?」と言いながらついてきたことがあります。
「自分がひとつ持ってあげよう」という男らしい発想を、どこかに置いてきてしまっている稀有なタイプです。

その分事務作業は得意で、美容外科への取材に出たときの留守を預かり、通販をこなし、通信環境を整え、誤字脱字を指摘し、パソコンのトラブルはすべて瞬時に解決し、落ち込んでいるときは発想の転換方法をも教えてくれました。
お世辞抜きで彼がいなかったら今の管理人はいませんでしたし、わくゴーはなかった!のです。
本当に素晴らしい、大の風呂嫌いのパートナーでした。

親も兄弟もいない彼の闘病生活を支えるにあたり、取材先に迷惑をかけることもありましたけれど、いつも温かい理解に包まれて私も幸せでした。
故人の意思で香典や贈り物は辞退しておりますが、ブログを読んだまったく存じ上げない方からメッセージや無記名のプレゼントが突然届いたりもしました。
メールすらもお返ししておりませんけれど、この場を借りて心より御礼を申し上げます。


堅苦しい話はこの辺までにしましょう。
らしくない文章を書くと疲れます(´ー`)

治療中は「自分がつらいのよりも、みゅったらが悲しい顔をするのがイヤ!」といつも言っておりましたので、涙を殺して何とかして笑わせるように心がけていました。
ことあるごとにツボにはめてやり、
「痛たたた、お願いだからもうやめて、ひー」と腹をかかえて苦しんでいる姿を見るのが楽しみでした。
亡くなる前日、活動限界が来た頃にも会社からたくさんのお見舞いがありました。
ほとんど意識がないのに、何とかして手を振ろうとし、 その翌日のお昼前に亡くなりました。

お通夜、再び来てくださった先輩が枕元にそなえてくれたお酒です。
「これはこれは、仏さんにむかって”魔界への誘い”とはクリティカルです。
通夜の席で縁起でもないものをありがとうございます」

と涙を拭いて笑うことができました。
その後、喪主である管理人は「火の元が無用心だから」という理由で線香を消し、真っ先にいびきをかきました。

生前、抗がん剤の治療をやめてからは
「死んだら死神になってそばにいる。いつでも卍解使ってあげる」と言ってくれました。(BLEACHネタらしいです)
「それを使うと整地が楽になる?」と聞くと
「楽どころか山ごと吹っ飛ぶよ」
「それはどうかとw 出力調整して」と話したのを覚えています。

本当に死神になれたのか??
彼が亡くなった日からテレビが突然いいタイミングで消えたり、夏から壊れている蛍光灯が命日とお通夜だけついたり、換気扇が壊れたり、パソコンに謎のメッセージが出たりと電気系の異変が相次いでいます。
管理人は無神論者で霊感もゼロですから偶然ということで片付けてもいいのですが、換気扇が壊れたのはまいりました。
「お金のかかる死神はいりません」といったら、今日は地震が起きて地面が揺れました(笑)

本当に彼がこれほどのパワーを持っていて、生前仕事に全力で使っていたとしたら・・
今頃は天下統一をもなし遂げていたかもしれません。
実に無駄なところにパワーを使う、惜しい人を亡くしました。

うちではお墓はつくりませんでしたが、父方の本家へ分骨し、両親とともにお墓にはいることになっていました。
火葬場へ向かう最後のお別れのとき・・

ひつぎの中に好物だったケンタッキーフライドチキンを入れてあげようとしましたが、
「やっぱりやめておきます、分骨先で手羽先に戒名がついたら困りますよね」といったら親戚が大笑いしてくれました。
世界に散らばる釈迦の骨(仏舎利)も、全部あわせると進撃の巨人ばりの大きさになってしまうそうなので、この手のネタは今に始まったことではないようです(笑)

最愛の人を送るのはつらいことではありますけれど、いつでも脳内アイドリングを高めにし、涙を少しでも笑いにかえられるように心がけていきたいと思います。

発病当初、おろおろして周りの人に泣きついた時、温かい言葉をかけていただいたことは一生忘れません。
その一言で、自分がどれほどに救われたか計り知れません。

管理人が魂をこめて作っている牧場が完成しましたら、同じような境遇を持つ方を最優先でお招きしようと考えています。
現状から目をそらして気を紛らわせるのではなく、大事な家族と病に正面からしっかり向き合うことができますように。
泣いても24時間、笑っても24時間。
一日一日を、笑顔の多い特別な毎日としてカウントアップできますように。
私たちの8ヶ月は、決してつらいことばかりではなかったのです。

牧場にはすでにスロープを作り車椅子用のトイレを作り。
準備は着々と進んでいます。
入院中に生まれた子馬も、もうこんなに大きくなりました。
ふわふわの冬毛のまま春の日差しを楽しみ、ごろり横倒しで眠っています。

もう少し落ち着いたら取材にもいけるようになると思います。

最後に大形 淳さんへ。
長い間未熟な管理人を支えてくださって、本当にありがとうございました。
教えられたものすべてを宝物に、これからも一人でも多くの皆様を笑わせ、楽しく生きていきます。


後日談・・このコラムを読んで大いに笑ったというメールをたくさんいただきました(´ー`* )
良い供養になると思います。
心をこめた泣き送りもありですし、愛をこめた笑い送りもありだと私は考えています。

「自分が死んだら、骨をくだいてうちの鶏にあげてくれ」と言っていたことを思い出しました。
「翌朝には転生だ! そりゃ早すぎだ!」と全力でつっこんでおきました。

初七日になり、電気系の異変もなくなり、少しづつ泣く時間も減ってきました。
「神様お願い、夢でいいからもう一度彼に会わせて下さい」とお願いしたら・・

福山雅治さんの夢を見ました(゚∀゚)

故人の夢を見るより実に何倍も元気になりました。
神様、気を利かせてゴージャスな仕事をしてくださってありがとうございました。
今まで以上に強く生きていけそうです。


書き忘れ。
大形淳さんとは私の40歳の誕生日に入籍する予定でした。
「オオガタですけどB型です!」という自己紹介ネタを用意して楽しみにしていましたが、この先使うことがなくなりました。
もったいないのでここに書いておきましょう(´Д`)

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